父の言葉

 

「思いきってやれ」
これが私が聞き続けた父からの言葉。

幼い頃から耳にし続ける「父の言葉」は、その後の人間形成において大きな影響を及ぼすと思う。

我が家が三人姉妹のせいか父は娘たちがか弱くなるのを憂い、常に逞しくある事を望んでいたように思う。

私にとって豪快な父。
力持ちで歌と字が上手くてお酒と本と体を鍛える事が大好きで、若い頃から本を読み続けていたせいなのかどうなのか、

とても物知りで何を聞いても父は答えてくれる。
それは今も変わらない。

国会でもめているニュースを見ながら「何でケンカしてるの?」
「こいつが嘘つきやからや、見てみ、口が歪んでるやろ、嘘ついたら口が歪むんや」と父。
かれこれ40年以上も前に起こった世間を騒がせた◯◯事件の時の父との会話を今も覚えている。
そのせいで今だに私は嘘をつくと口が歪むような気がする。

「トンネルはどうやって作るん?」
「誰が作ったん?」
「川はどこから始まってんの?」
「どこまで続いてんの?」
家の中でもお出掛けの時も、父と手を繋いで私は四六時中父に質問攻撃をしていた。
「何で何でってうるさいなぁ」と怒る姉。
今も実家に集まり私が父に質問を始めると姉に言われることがある。

父が常に言っていた「不便やったら便利にしたらええんや」。その言葉の通り父は何でも自分で作った。
10才まで家族5人で住んでいた文化住宅のベランダも父が作った物で、夏休みにはそこで朝顔やヘチマを育て、

観察日記を書き、毎日ビニールプールで遊んでいた。
我家にだけ大きなベランダがある事が自慢だった。
賃貸であっても全てにおいて寛容な良き時代であったと思う。
大工じゃ無いけど犬小屋でも棚でも本当に何でも父が自分で作っていた。

2歳まで住んでいた母方の祖母の家の敷地内にあったプレハブの家も父が自分で建てた。
近くの建設現場から資材を譲って貰い、道具が無いから屋根に水を流して水平を測ったと父が言っていた。

「おばあちゃんの家に住ましてくれる言うとったけど、お母さんと住む家が欲しかったから建てたんや」とも言っていた。

海辺の小さな町で中学生の頃から家計を助けるためにしていたと言う鉄船に荷物を運ぶアルバイトをしながら、

食料を採るための素潜りの場所まで毎日海を数キロ泳いで渡ったと言っていた。
その時に培われた体力や見た光景、生きるための知恵と度胸が父の人生の基盤になっているように思う。

九州の海辺で育った父は海が大好きで、夏になると毎年家族で海に行った。
岩場で素潜りをしてサザエやアワビを採り(今はもちろん採っちゃダメですが)翌日は海水浴場で

「顔を上げるな、力を抜け」と言って飛込み台から私を放り投げ、溺れる手前ですくい上げられる。
そんな父の荒療治とも言える特訓のお陰で幼稚園の頃には泳げるようになっていた。
学校で水泳帽につける、2人しかいなかった泳げる黒のラインが子供心にとても誇らしかった。

私が子供の頃はパックやペットボトルなどはまだ存在せず、ジュースと言えば全て瓶だった。
我家にいつもあったサイダー。サイダーの瓶を父に持って行くと歯で栓を抜いてくれた。
栓抜きは父が居ない時に使用する物だと思っており、そうでは無い事実を知った時とても衝撃を受けた事を今も覚えている。

※懐かしい瓶を目にしましたので、お写真お借りしました。

 

小学校1年生の時、どうしても跳びたいとび箱の三段が跳べず、テストの前日に父に話した。
「思いきって跳んだら跳べるんや、怖がらんと跳べ」寝る前にもう一度「思いきって跳んで来い」と父に言われ、

翌日ドキドキしながらその時を迎え、無我夢中で跳んだら本当に跳べた。
「思いきってやる」の意味を体感した始まりだったように思う。

運動会の50m走で前日まで2位にしかなれずに悔しがっている私にまた「思いきり走れ」と父。
思いっきり走っても負けると泣き出す私に父は笑いながら、「じゃあ、よういドンのドで走れ」。
翌日1位になった。父のお陰だ。
学年が上がるにつれ時折フライングをとられ、高学年で始めたキックベースボールではタッチアップでアウトをとられ

「一拍待て」とよく監督から怒られた。父のせいだ。

中学校で始めたテニスの試合の朝も「思いきってやって来い」と、父は必ず私にそう言った。

色々な物事がそれなりに分かるにつれて、思いきってやれない事が少しづつ増えてはきても、今の私は思いきってやっていない、

父が知ればきっとがっかりするだろうと、心のどこかでそう思っていた。

もしかしたら、その感覚は今も私の中のどこかにあるかも知れないと思う。

若い頃に数学と物理を猛烈に学び、ガスを製造する国家資格を3つ取得し立派に勤め上げた父。
「勉強なんかする環境じゃ無かったけど、何クソ思いながら必死で勉強したんや、人間その気になったら何でもできるんや」とよく言っていた。
「お父さんは昔ケンカっ早かったんや、体力に自信があったからケンカが好きやった、お酒を飲みに行って隣に誰か座ったら、こいつ殴ったろうと思った、人のパンチなんかスローモーションに 見えた」と、そんな血の気の多い時代があった事も幼い頃から時折父から聞いていた。

60年近くも前の事は既に時効であるとは言え、偶然隣に座っただけで何もしていないのに父の被害に遭われた方々に、この場を借りてお詫びを申し上げます。
私の父が、本当にごめんなさい。

そして私のもう一人のお父さん、藤川の義父。
20年前に主人と結婚する時、「本当に嬉しそうに喜んではったよ」と、宇治川の畔りで割烹やさんを営んでいた義父の友人の方から聞いた。
近くに住んでいても仕事ばかりで何も出来ていないけど、沢山の事に感謝しています。
そして温かく心から私を迎えて下さったあの日の事を一生忘れません。
お父さんとお義父さんに、感謝を込めて。

 

 

2018年6月8日
ドクターリセラ リセラアカデミー
藤川知子

 

藤川 知子

リセラアカデミー代表
ヘッド講師

藤川知子TOMOKO FUJIKAWA

藤川知子
リセラアカデミー代表 ヘッド講師

大手国産化粧品メーカーにて、関西圏百貨店部門の美容教育トップを務め、数多くの
部下・後輩へ美容に関わる楽しさや喜び、その価値が社会貢献に繋がっていく事を提唱。

その後、総合エステティックの会社にて教育総責任者として、新人教育をはじめチーフ/
店長/カウンセラーなど全階層の教育研修を行いながら、サロン運営プログラムを開発、
数々の繁盛サロンを生み出すなど、コース開発や製品開発にも携わる。

『コンプレックスを取り除き、美しくなる事で幸せになるお手伝いをし、世の中に貢献する』
という強い信念で美容の仕事に従事している、美容教育のエキスパート。

エステティシャンのプロフェッショナルを養成する機関として<リセラアカデミー>を立ち上げる。
長年の美容教育経験、サロン運営や幹部育成などの実績とノウハウを生かし、
現在ドクターリセラ社内教育と共にリセラアカデミー美容教育の企画運営、講師として活躍。

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